Masuk明後日に撮る、と約束した初めてのツーショットは、約束した時点ですでに少し面倒なものになっていた。
当日の朝、陽菜から最初に届いたメッセージがこれだった。
『今日、写真撮るんだよね?』
『その予定』
『服、普通でいい?』
『いつも普通だろ』
『そういうこと言ってるんじゃない』
その五分後。
『髪どうしよう』
『いつも通りでいいんじゃない』
『悠真に聞いた私が悪かった』
さらに十分後。
『やっぱポニーテールにする』
『了解』
『反応薄くない?』
『何て返せば正解』
『可愛いと思う、とか』
『まだ見てない』
第76話 会えない四日間で、俺の生活もちゃんと進んでいた 陽菜が合宿へ行って四日目の朝、俺は目を覚ましてから十五分ほど、彼女のことを考えなかった。 歯を磨いて、水を飲み、冷蔵庫に残っていたパンを焼いて、今日の予定を確認する。そこまでやってからスマートフォンを手に取り、陽菜とのやり取りが昨夜の「おやすみ」で終わっているのを見て、初めて「ああ、今日も合宿か」と思い出した。 別に不思議なことではない。 四六時中ひとりの人間のことを考えて生活しているほうが、むしろ不自然だと思う。 そう思ったのに、なぜか少しだけ後ろめたかった。「何でだよ」 誰もいない台所で呟く。 昨日までは、陽菜から連絡が来ないだけで気になっていた。それなのに今日は、起きてから十五分も完全に忘れていた。 十五分くらいで大げさだとも思う。 でも、感情というのは、大げさだと分かれば引っ込んでくれるほど聞き分けがよくない。 俺は陽菜へ、『おはよう。今日は蒼のところで料理手伝う』 と送った。 それから少し迷い、『そっちは返せる時でいい』 とは付け加えなかった。最近そこを意識しすぎると、文章が業務連絡みたいになる。 送ったら終わり。 返事は向こうの都合。 それでいい。 午前十時過ぎ、蒼の家へ着いた。 正確には蒼の実家ではなく、大学へ通うために借りている部屋だ。料理をする人間らしく台所だけは妙に整っている。俺の部屋より調味料が多く、普通なら一種類あれば十分そうな酢が三本ある。「何で酢こんなにあるの」「米酢と黒酢とバルサミコ」「最後だけ急に外国」「全部違うんだよ」「俺には酢」
第75話 彼女の声が疲れている時、励まさないほうがいい夜もある 合宿三日目の夜、陽菜から電話がかかってきたのは九時半を少し過ぎた頃だった。 画面に名前が出た瞬間は単純に嬉しかったが、通話ボタンを押して最初の「もしもし」を聞いた時、その気持ちは少しだけ形を変えた。『悠真』「うん」『今、大丈夫?』「大丈夫。陽菜は?」『……大丈夫』 その一言だけで、かなり疲れているのが分かった。 声が低い。普段より語尾に力がなく、息を吸う間隔も少し長い。眠い時とも違う。体だけではなく、頭まで使い切っている時の声だった。「今日、きつかった?」 聞いたあと、少しだけ後悔した。 きつかったに決まっている。合宿三日目で、朝から練習して、夕方まで走って、そのあとミーティングもあると言っていた。『かなり』「そっか」『……うん』 そこで会話が止まった。 以前の俺なら、多分すぐに何か言おうとした。 頑張って。 明日もあるから早く寝て。 合宿なんだから仕方ない。 あと二日。 でも、どれも今の陽菜が欲しい言葉には聞こえなかった。 むしろ、言われる側からしたら「まだ頑張れ」としか聞こえない可能性がある。「陽菜」『何?』「今日の練習の話、したい?」 電話の向こうで、少しだけ沈黙があった。『……今日はいい』「じゃあしない」『聞かないの?』「聞いてほしそうなら聞く。でも今は違うだろ」
第74話 知らない時間の彼女を、勝手に想像しすぎない 陸上部の共有SNSに上がった写真を見た時、最初に目へ入ったのは陽菜だった。 合宿先の競技場らしい。夕方のトラック脇で、練習を終えた部員たちが何人かまとまって写っている。全員かなり疲れているようで、座り込んでいる人もいれば、タオルを頭へ乗せたまま笑っている人もいる。 陽菜は中央より少し右。 頬が赤い。髪もかなり乱れている。多分、練習直後だ。 そして、その隣に知らない男がいた。 同じ陸上部なのだから、男子部員が隣にいること自体は何もおかしくない。 分かっている。 問題は、二人ともかなり楽しそうに笑っていたことだった。「……」 俺は写真を拡大した。 その瞬間、自分でも何をしているのかと思った。 別に近すぎるわけでもない。肩が触れているようにも見えないし、二人だけで撮っているわけでもない。十人近くいる集合写真の一部だ。 男が何か言ったのか。 別の誰かが言ったことで全員笑ったのか。 そもそも陽菜が誰を見て笑っているのかも、静止画だけでは分からない。 なのに、頭は余計な部分を補おうとする。 誰だ。 同学年か。 先輩か。 合宿中ずっと一緒なのか。 普段も話すのか。 陽菜はあいつといる時、よく笑うのか。「……またやってるな」 スマートフォンを少し離す。 柔軟剤の時と同じだ。 あの時は、知らない匂いを感じて、その匂いが男のものだと勝手に決めた。 今回は写真。 見えている情報はもっと多い。
第73話 応援してるから、全部報告してほしいわけじゃない 陽菜から「毎日ちゃんと返信しなきゃって思うと、ちょっときついかも」と言われた翌朝、俺はいつものように「おはよう」と送るかどうかで少し迷った。 昨日までなら、起きたら何となく送っていた。陽菜も余裕があれば返してくるし、忙しければ後で返す。それくらいのつもりだった。 でも一度「負担」という言葉を聞いてしまうと、同じことをするだけでも意味が変わって見える。 送ったら返さなければと思わせるかもしれない。送らなければ、昨日の話を気にして急に距離を取ったように見えるかもしれない。 考えているうちに、自分でも嫌になる。 結局、俺は余計な説明をつけずに、『おはよう。今日も怪我だけ気をつけて。返信はいらない』 と打った。 そこでまた止まる。 返信はいらない。 昨日、神崎先輩に言われたことを思い出す。「返信いらない」と言いながら、相手に何かを求めている文章になることがある。 俺は最後の一文を消した。『おはよう。今日も怪我だけ気をつけて』 それだけ送る。 返事がなくても、今日は待つ。 そう決めた。 すると十分ほどして、普通に返信が来た。『おはよう。今朝ごはん。昨日の話、夜ちょっとできる?』『できる』『じゃあ練習終わって余裕あったら電話する』『余裕なかったら明日でいい』 今度は送ってから消さなかった。 陽菜からは、『うん。そういう感じが助かる』 と返ってきた。 その一言で、昨日から胸の奥に残っていた引っかかりが少しだけ小さくなった。 ただ、なくなったわけではない。
第72話 既読がつかないだけで、悪い想像は勝手に増える 陽菜に送った朝のメッセージは、昼を過ぎても既読にならなかった。『おはよう。今日も気をつけて』 たったそれだけの文章が、送信済みのまま画面に残っている。合宿二日目で、朝から練習があることは知っていた。スマートフォンをロッカーか宿舎へ置いている可能性も高いし、昨日だって昼間はほとんど返信がなかったのだから、何も不自然ではない。 頭では、そこまで分かっていた。 それでも午後一時を過ぎた頃、俺は図書館で本を読んでいる途中にスマートフォンを開き、既読がついていないことを確認した。 三十分後、もう一度確認した。 午後二時過ぎにも見た。 三度目になると、自分でもさすがに嫌になった。「見たところで変わらないだろ」 小さく呟いてスマートフォンを伏せる。 昨日の夜、陽菜は「今日もかなり練習する」と言っていた。朝から走って、昼食を取って、また午後練習。その間に連絡が来ないのはむしろ予定通りだ。 だから、何も問題はない。 問題はないはずなのに、午後三時を回ると、頭の中に余計な候補が増え始めた。 転んだ。 脚を痛めた。 熱中症。 体調不良。 スマートフォンをなくした。 充電が切れた。 最後の二つならまだいい。 最初の三つは嫌だった。「勝手に悪い順に並べるなよ」 また独り言が出る。 こういう時、人間の頭はかなり性格が悪い。情報が足りないなら何も考えなければいいのに、空白があると勝手に意味を埋めようとする。しかも、楽しい想像より悪い想像のほうが妙に具体的になる。 陽菜が競技場で倒れているところまで想像しかけて、俺は本を閉じた。
第71話 四泊五日くらい会えなくても平気だと思っていた 陽菜の合宿初日は、朝六時半に届いたメッセージから始まった。『今から集合。眠い』 俺はその時まだベッドの中にいて、通知音で目が覚めた。画面を開くと、続けてもう一件来ている。『でも楽しみ。行ってくるね』 寝ぼけたまま少し考えてから、『行ってらっしゃい。怪我だけ気をつけて』 と返した。 すぐに既読がつく。『そこ最初に言うの悠真っぽい』『頑張って、のほうがよかった?』『今日はそれでいい』 最後に笑っているスタンプが一つ届き、それで朝のやり取りは終わった。 俺はもう一度枕へ顔を戻した。 四泊五日。 長いようで、そこまで長くもない。 以前、一日ほとんど連絡を取らずに過ごす実験もした。その時は昼過ぎから多少気になったものの、普通に図書館へ行き、蒼と会い、夜まで生活は成立した。 だから今回も大丈夫だと思っていた。 五日程度なら、別に。 会えないだけだ。 そう思っていたのは、どうやらかなり甘かったらしい。 午前十一時過ぎ、俺は大学の図書館へ向かっていた。 夏休み中なので構内は普段より静かだ。完全に人がいないわけではないが、講義期間中に比べればかなり少ない。 いつも陽菜と待ち合わせる中庭の横を通った時、俺は無意識にベンチを見た。 誰もいない。 当然だ。 陽菜は今、ここから電車で二時間ほど離れた場所にいる。 それだけ。 なのに、妙な感じがした。 普段なら会う約束がなくても、同じ大学のどこかにいることがある。陸上部の練習ならグラウンドか







